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2018年の大河ドラマ「西郷どん」も佳境ですね。熱演すばらしい!
来年は最初の東京オリンピックが舞台の「いだてん~東京オリムピック噺~」です。
さらに次の年2019年は「麒麟がくる」で明智光秀が主人公です。
敗者にも最近はスポットがあたる時代になってきました。
今回は激動の戦国時代の合戦を紹介してくれるチャンネルランキング・ダイナマイトの動画を紹介します。
では早速みていきましょう。

戦国時代の壮絶すぎる合戦5選!

1.壮絶な籠城戦・三木合戦

出典:https://www.youtube.com/watch?v=GC6PLnq1db0&t=16s

●1578年から1580年まで播磨国・三木城で行われた織田信長と別所長治の戦い
●天下統一を狙う信長は毛利の勢力圏である中国地方を攻めるよう羽柴秀吉に命じた
●黒田官兵衛が大活躍
●官兵衛は主君の小寺政職や別所長治、赤松則房などに毛利から織田へつくよう説得
●毛利の領地に近い宇喜多直家も説得に応じた
●その矢先、織田方へついていたはずの別所が毛利輝元の誘いで反旗を翻し三木城に籠城
●これを機に荒木村重や中川清秀なども信長に謀反を起こし官兵衛の主君の小寺までもが毛利方についてしまう
●正攻法では勝ち目が無いと悟った秀吉は城への補給路を断つ兵糧攻めを行う
●この作戦は竹中半兵衛の案で「三木の干殺し」といわれ語り継がれている
●兵糧攻めから1年10ヶ月、食料は底を尽き、1000人にも及ぶ餓死者がでる事態
●秀吉は城主一族が切腹すれば城兵の命は助けるという条件を提示
●別所長治はこの条件を飲み三木城を開城、その後切腹

2.鳥取城の戦い

出典:https://www.youtube.com/watch?v=GC6PLnq1db0&t=16s

●1581年7月、羽柴秀吉は因幡国の鳥取城攻めを開始
●秀吉が「降伏すれば因幡一国を安堵する」と申し出た
●城主の山名豊国はそれに従った
●家臣の森下道誉や中村春続らは納得せず、城主を吉川経家に変えて立ち上がる
●経家は籠城戦に備えて食料を蓄えようとしたが秀吉が先に高値で米を買占めていた
●秀吉は補給路だった雁金城を攻撃し、完全に鳥取城を孤立させた
●鳥取城には兵士だけではなく周辺の農民もいたので数は4000人以上だったと推察
●少ない食料はすぐに底を尽き、木の根まで食べるほどで餓死者が多数
●極度の飢餓状態に籠城している人たちは人の肉まで食べることになった
●見かねた経家は秀吉に屈服し、自分の命と引き換えに城の中の人を助けてくれるよう願い、自刃
●秀吉は実際の首謀者ではない経家の命まで取ろうとは考えていなかった
●経家は人の肉まで食らう地獄のような籠城戦の責任を感じたのか自死を選ぶ
●あまりにも悲惨な戦いだったこの合戦は「鳥取の渇え殺し」と語り継がれている

4.上田合戦(第一次)

出典:https://www.youtube.com/watch?v=GC6PLnq1db0&t=16s

●上田は真田幸村の父、真田昌幸の領地
●1582年、本能寺で信長が討たれると、真田の領地を狙い、北条・上杉・徳川が迫ってくる
●はじめは北条と手を組むが、好条件を出した徳川家康へ寝返る
●しかし家康は北条と和睦、真田の領地の一部である沼田を北条のものとした
●これに怒った昌幸は徳川と縁を切り千曲川河畔に上田城を建て、川を利用した水濠に囲まれた要塞とした
●家康は昌幸に和睦を迫るが昌幸は応じず
●そこで真田に謀反ありと家康は1585年に鳥居元忠を先鋒として上田城攻めを開始
●昌幸の罠が待っていた
●上田城の大手門、二の丸、三の丸と陣を進めた徳川軍に、背後から真田軍が襲う
●真田軍は大石や大木を落とし、鉄砲で敵を迎え撃った
●千鳥掛けの柵に阻まれ徳川軍は中々進軍できず
●やっと城の中へ入った徳川軍を待って、それまで人工的に堰き止められていた、神川の水を一気に流し込む
●徳川軍は溺死者を何人も出し、7000人のうち1300人の死者、昌幸に大敗
●この戦いで真田家の名は天下に轟くことになるが徳川との不仲が加速、第二次上田合戦へ続く

あと2つの戦いは?動画を見てください!

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naiz
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