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20周年を迎えた野性爆弾がついに重い腰をあげて新ネタライブを開催する。
しかもチケットは即完売。業界内外を問わず大注目の単独ライブを控え、二人は何を思うのか?
彼らにこれまでの20年の足跡と単独ライブについて話を伺った。


<Profile>
野性爆弾(川島邦裕、ロッシー)
大阪NSC13期生、1994年3月結成。
デビューから吉本興業が運営する2丁目劇場、baseよしもと、うめだ花月などで活動。2006年からは初の冠番組「野爆うめだFandango!」がヨシモトファンダンゴTVで開始。さらに2006年12月には、二人のコントで使用する小道具の展覧会『野性爆弾EXHIBITION〜とりあえずこの犬についてきましょか〜』を大阪HEP HALLにて開催。2008年10月のうめだ花月閉館と「野爆テレビ:終了をきっかけに活動の拠点を東京に移す。
現在はルミネtheよしもとやTV、ラジオなどで幅広く活動している。


仲ええし一緒に行こうぜって感じでしたね

—— 20周年振り返ってこの世界に入ったきっかけは?

川島 :もともと別々やったんですけど、僕は一緒にバンドをやってて僕がギターで、ボーカルの子にお笑いやろうって誘われてNSCに入ったんですよ。

—— 音楽から「なんでお笑いなんだ?」って思わなかったんですか?

川島 :なんとも思わなかったですね。一番仲良かったヤツやから、お前がいいなら別にええよって感じで。

—— ロッシーさんは?

ロッシー :僕も小学校、中学校一緒で当時の仲良かった友だちがよしもと行こうと言ってたんですよ。その子と一緒にオーディションに行く予定だったんですけど、「家業があるからアカン」ってなって僕一人で行くことになって。ひとりでオーディションに行ったら、家も近くて学校も一緒の川島と川島の相方も知ってるし、「滋賀の田舎の学校から三人やな」ってなりまして。
ほな、「トリオでいいんちゃう?」って入れてもらいました。

—— 最初は全く別々だったんですね。
ロッシー :最初は別々でしたね。「あー、お前も行くねん?俺も行くねん」みたいな。

—— 地元の学校から一緒っていうのも凄いですね。

ロッシー :お笑いブームじゃないのに、お笑い芸人になりたいと思うなんて凄い偶然ですよね。
でも、すぐに川島の相方が辞めてもうて。とりあえずネタ作って動き出すより、様子見ようぜってなったんですよ。

川島 :当時、(NSCは)ABCのクラス分けがあったんですね。Aがコンビ、BとCがコンビ組んでない人たち。それで「バラバラになるのも、ちょっと嫌やなぁ」ってなったんですよ。(ロッシーは)連れっだったし、じゃあ「コンビっていうことにしてA組入ろうか」ってなりましたね。

ロッシー :クラスが違うと授業もバラバラになるんですよ。当時、滋賀から大阪まで通ってたから、(二人だと)心強いし、(川島は)仲ええし一緒に行こうぜって感じでしたね。

川島 :1時間半、一人で電車で大阪に行くのが地獄やったんで。

ロッシー :まったく知らん街やし。

—— 高校卒業するまで、あまり大阪とかは行かれてなかったんですか?

ロッシー :京都が精いっぱいやんな。

川島 :大阪行くときは遠足ぐらいの感じ。連れと連絡取り合って「明日何時な」って。
ちょっとしたリュック持っていくみたいな。

ロッシー :それぐらいの感覚で大阪へ行ってました。

—— どれぐらいの期間、滋賀から通ってましたか?

川島 :NSC時代ずっと。1年間ですね。NSC卒業して、すぐ大阪に出てきました。

ロッシー :同期で次長課長がおるんですけど、あいつら岡山からもう大阪に出てきてたんですよ。俺らは滋賀から来てるから終電もなくなったら次長課長の家に泊まらせてもらってましたね。

川島 :泊まり歩いたりね。公園にゴザひいて寝たりして。芸人仲間から「野性爆弾どうすんのー?帰れへんやん」って言われて「ここで始発待つわー」みたいな感じでしたね。

—— すごいですね!当時は二人で行動してたんですか?

川島 :そうですね。二人でいることが多かったんじゃないですか。

ロッシー :次長課長と仲良くなるのも、時間かかりましたからね。

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