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ここのところ、恋愛に臆病になっている女子に対してコラムを書いてほしいとか、「好き」という気持ちがよくわからなくなっている女子に対してコラムを書いてもらいたいとか、そういう依頼が多い。
著者にしてみたら、好きという気持ちって、どうやったらわからなくなるのだろうということがわからないのですが、推測するに、「好き」という気持ちを押し殺していい子として生きていると、そのうち「好き」がわからなくなるのかもしれません。

「好き」とは?

「好き」とは、たとえばこういう気持ちのことです。

これはもちろん人々が演奏をしている動画ですが、好きという気持ちが集まっている動画です。
指揮をしている佐渡裕さんは、幼少の頃から、三度の飯より音楽が好きなんだそうです。そういう佐渡さんが、音楽が達者な「スーパー」キッズたちを集め、そのなかからさらにオーディションで選抜された子どもたちが奏でる音楽。

好き以外に、なんの掛け値もない音楽です。

クラシック音楽の世界にも、学閥や派閥があるようで、オトナたちはしれっとした演奏をすることもあるらしいのですが、子どもたちは「まるでぼくの分身かのように、ぼくの指揮のとおり演奏するので、こっちが気恥ずかしくなってくるくらいだ」と佐渡さんは書いています(『棒を振る人生』(佐渡裕著)PHP新書)。

恋愛に臆病になっている女子は、心のヒダを大事にしたほうがいい

恋愛に臆病になっている女子は、心のヒダを大事にしたほうがいい。
こういうことが言えると思います。

でも、ぶっちゃけ、こういうことって争えないんですよね。
育ちは争えないというのとおなじようなレベルで、小さい頃からよく遊びよく恋愛してきた女子たちは、オトナになっても、じぶんの心のヒダに敏感で、よく恋をしよくモテているように見えます。
でも、好きという気持ちを押し殺して学校のお勉強にだけ励んできた女子は、オトナになってからも、なかなか心を開くということができないし、したがって恋しづらいし、臆病にならなくていい側面で臆病になっている。

取材をしていて、こういうことを現場で感じます。

心のヒダに敏感になる方法

今回、珍しくクラシック音楽の動画をご紹介したのにはわけがあります。
音楽会に行って生の音楽を聴くと、どういうわけか、心のヒダが震えるからです。
つまり、心のヒダに敏感になろうと思えば、音楽会に行ったほうがいい。
それも、1食くらい抜いてでも、前のほうの席で聴いたほうがいい。前から5列目の席で聴くとか。

音楽とか映画って、今やスマホでいくらでも見ることができますが、本当は現場で10メートルくらいの場所から見聞きするのがちょうどいいようになっている。
スマホやテレビがこの世に登場する前からあるものって、そういうふうに作られているのです。

野球やサッカーもおなじはずです。

興奮するもの、歓びが大きいもの、哀しいもの

あとのことは、実際に音楽会に足を運んでいただかないと、なんとも言えません。

最近は、クラシック音楽の世界でも権威主義的なものが少しずつ崩壊している、ということがあるようで、知らない交響曲であっても、昔、学校の音楽の授業で聴かされた眠たい交響曲であっても、とても楽しめる音楽会が増えているといいます。

たとえば前出の指揮者・佐渡裕さんは、こう言っています(『棒を振る人生』)。
『クラシック音楽はなにもカタイものではなく、興奮するもの、歓びが大きいもの、哀しいもの、心のヒダがビンビン震えるもの……こういうことを、近所のおじちゃんやおばちゃんにもわかるように音楽を創りたい。』

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ひとみしょう
作詞家・コピーライター・広告プランナーを経て、専業文筆家に。小学館 『Menjoy!』 での連載を経て、『ANGIE』初代編集長に就任(14年7月まで)。コラムの受賞歴多数。現在、連載9本を抱える。