「命短し、恋せよ乙女」と言われるとおり、少女でいられる時間は短いもの

はかない美しさを持つ少女は、特別な存在です。近年、日本全国で巻き起こっている空前のアイドルブームを見れば分かるとおり、少女を神聖化して崇める図式はすでに完成されています。そもそも「アイドル」の語源は「偶像」ですから、もしかすると、少女崇拝の感覚は、女王卑弥呼の言霊が信じられていた時代から変わっていないのかもしれません。

少女たちはかくもはかなく

卑弥呼のアイドル性はシャーマニズムへと昇華されましたが、しかし、現代の少女のアイドル性はビジネスに吸収され、利益を生み出すショー個人の欲望を満たすためのコンテンツとして、ひたすらに消費、消費、消費、消費……されています。

そのことについて、今まさに少女である人、そしてかつて少女であった人はどのように感じているのでしょう。少女の気持ちが知りたい人は「ヴァージン・スーサイズ」をご覧になるといいかもしれません。

監督ソフィア・コッポラの思いがにじむ

少女たちは夢と現実の間をふわふわと漂うかのよう。
少女たちは夢と現実の間をふわふわと漂うかのよう。

ヴァージン・スーサイズは、1999年にソフィア・コッポラ監督によって製作されました。ソフィア・コッポラのパパは「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」を手掛けた巨匠、フランシス・フォード・コッポラです。

ヴァージン・スーサイズはソフィア・コッポラが監督として歩み始めた初期作品ですが、父親とは異なるガーリーでふんわりした独自の世界観を見事に描き、高く評価されました。その才能は2003年に公開された「ロスト・イン・トランスレーション」で本格的に開花し、アカデミー賞やゴールデングローブ賞、セザール賞を総なめにしたほどです。

13歳の少女にしかこの感覚は分からない

ヴァージン・スーサイズは、女性が手掛けた少女映画ということもあり、「今まさに少女である人」、そして「かつて少女であった人」の両方の視点から、少女という生き物が表現されています。

物語は五人姉妹の末っ子、13歳のセシリアが自殺未遂を図るところから始まります。冒頭、一命をとりとめたセシリアに、医師は「どうしてこんな真似をしたんだ?人生の辛さなんてまだ分からない年じゃないか」と言います。するとセシリアはこう返事したのです。「だって。先生は13歳の女の子だったことがないから、きっと分からないわ……

教室に吹き込む風、緑の空気。少女たちはどこに……
教室に吹き込む風、緑の空気。少女たちはどこに……

少女たちに興味津々の男の子たちは、厳格な姉妹の両親になんとか許可を得て、ダンスパーティーに誘うことに成功します。しかし、四女のラックスが門限を破り、男の子と一夜を過ごしたことで、母親は姉妹を家に閉じ込めてしまいます。男の子たちは姉妹を助け出そうと「ここではないどこか」へ連れ出そうとするのですが、その思いもむなしく、ついに姉妹は自殺してしまうのでした。

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トップ画像出典http://www.photo-ac.com/main/detail/117848
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内野チエ
ライター。 Webコンテンツ制作会社を経て、フリーに。教育、子育て、ライフスタイル、ビジネス、旅行など、ジャンルを問わず執筆中。高校の3年間で1000本以上の映画を鑑賞、ときには原作と比較しながら楽しむ無類の映画好き。