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90年代後半にアイドルとして活躍した広末涼子。その人気もさることながら、彼女がかかわった仕事は、時代や世相をよく反映していて興味深い。現在は女優として独特の存在感を放ち、最新主演映画の公開も予定されている彼女の歴史をふり返ってみよう。

最初はCMで注目される

1980年に高知市で生まれた広末涼子は、ニキビ治療薬クレアラシルのCMで95年にデビュー。翌96年、NTTドコモのポケベルのCMで、人気に火がついた。当時、店頭におかれていた広末涼子の等身大パネルは盗難が相次ぎ、一部では数万円で取引されるなどしていた。

いまや死語となったポケベルの加入者数がピークとなったのが、96年6月。この後、通信手段はケータイやネットへと移行していく。起用されたタイミングも絶妙だった。

現在は高知県のCMに出る広末涼子。多くの人が彼女の魅力として挙げる「透明感」は、清流が多い高知の土地柄が育んだのかもしれない?

他にないキャラクターの魅力

広末涼子がファンを熱狂させた特徴は大きく2つ。

○見た目の透明感
○リアルな存在感

作られたお人形さんのようなアイドルではなく、身近にいそうな女の子なのに、透明感のあるかわいさは特別だった。もちろん、見た目なんて、個人の好みがあるわけだけど、広末涼子の場合、「瞳がかなり茶色い」といった具体的な特徴をともなっている。

広末涼子 Teens―1996-2000

さらに世間に広く知られるきっかけとなったのが、歌の存在だ。97年4月発売のデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」は、いきなり約60万枚の売上げを記録。作詞・作曲・プロデュースを手がけた竹内まりやは、こう語る。

「他人のキャラクターとか声によって開けられる引き出しっていうのがあるんです。だから例えば(広末)涼子ちゃんならばこういうものを歌ってほしいと思って」

(引用元:音楽ナタリー |「Mariya’s Songbook」対談

歌手としてヒット曲を連発

ちなみに、竹内まりやが言う「こういうもの」の元ネタはダイアナ・ロスがいたシュープリームスの「恋はあせらず」だ。

当時の音楽界は、安室奈美恵に代表されるダンス志向、アーティスト志向が強い女性歌手が主流だった。J-POPなんて言われるようになったのもこのころだが、竹内まりやは80年代からアイドルに楽曲提供していた人だ。それを古いと否定した批評家もいたが、逆に喜んだリスナーも多かった。

2枚目のシングルは「大スキ!」で作詞・作曲を岡本真夜に依頼。「三ツ矢サイダー」CMソングに使われて、これまたヒット。

とってもとってもとってもとっても
とってもとっても大スキよ

とシンプルだが、耳に残るサビアタマが印象的な曲だ。NHK紅白歌合戦でも披露した。他にも、歌番組やバラエティでの露出が増え、その自然体の言動により、さらに人気が高まっていった。

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RJラボ
株式会社RJ所属のライティング・ユニット。ハウトゥ本を中心に幅広く執筆。メンバーは雑誌や単行本へも寄稿、編集者からの評価も高い。得意分野は音楽・映画・マンガ・恋愛・ビジネスなど。⇒公式ブログはこちら